介護の仕事、生産性、今後のこと
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介護の仕事、生産性、今後のこと
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最近、仕事をしていて感じるのは、「辞めたい」ということ。
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「なぜ辞めたいのか?」と考えたてみると、「生産性」を感じないからということに行き着いた。
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前職が乗馬クラブでのインストラタクーをしていて、自分なりに「こういうものをお客さんに提供したい」と日々感じることが多かった。
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介護も同じではなないのか?と考えたがそれは違った。
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乗馬クラブと介護の何が違うのかというと、乗馬クラブのお客さんの向いているベクトルは「前進」、介護施設を利用している利用者様を見ると、人生の終活の部分に差し掛かっているところを考えるとベクトルはとして「後退」していると思ってしまう。
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副業として占い師をしているけれど、クライアントに「こういうサービスを提供したい」と常に考えていることがとても楽しい。
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そして、その考えたサービスや自分が提供した占いやアドバイスといったことがクライアントの方に喜ばれる、クライアントの方が前向きに歩き出した、と言うところに生産性を感じている。
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介護でもそれは可能じゃないか?と考えたけれど、どうしても私は生産性の部分で前向きになれなかった。
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利用者の状態としては下降線を辿っていく状態において、状態が圧倒的に改善して、自分自身の力で食べることができて、トイレができて、他の人との社会性を身につけた、など目に見えるものが感じられない。
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常に自分のことが一番、トイレも一番、ご飯の配膳も一番、他の人がトイレに入っていようが関係ない、自分がトイレに行きたいから、他の人が入っていようと扉を開けてトラブルになる。
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他の人が入っているから、と話したところで、「わかった」などと言いながら、トイレの扉を開けるのである。
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認知症だから仕方ない、といえばそうなんだけれど。
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毎日がそんなこととの戦いだ。声を荒げながら対応しようものなら、「落ち着いて、声を荒げたらだめでしょ!」と注意を受ける。
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それって、個人の資質の限界なのではないか?と思う。個人の資質の限界はそれぞれあるけれど、資質の限界を補うのは、人員のフォローという管理なのではないか?
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個人の資質以前に、声を荒げてしまう状況になってしまうということは人員の配置的に「余裕がなくなっている」ということではないか?
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そんな状況において、一体、何に「生産性」を感じればいいのか?
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他に、職場や業界としてのことにも「生産性」を感じない。
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例えば、接遇サービスといった面で。業界として息の長いのに、接遇を取り入れるといっても、いきなりサービス業や営業職の接遇をそのまま取り入れてしまう。
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職員間で真っ当な敬語を使っていたら、慣れる慣れないもあるけれど、やりにくくなってしまう。
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利用者に対してもそうだ。敬語を使いましょうなどといったところで、認知症もあり会話文を理解できなくなっている人にはまどろっこしい話である。
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例えば食事を召し上がらない利用者に対して…
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「柔らかいので食べやすいですよ。食べてみましょう」
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と言ったところで、一体、この言葉の何割理解しているのか?
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介護職は福祉業界においての土方だと思っている。
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将来的に介護の仕事を辞めるかもしれない。それは、1年後なのか3年後なのか、1年半後なのかはわからない。
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次はどの職業に?と考えると、乗馬業界に戻るだろうと直感的に考えた。
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今、こう考えていることが一時的なことなのかはわからないけれど、少なくとも介護業界に対して不満を持っていることは確かである。
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